

千葉県富津市のお客様から、お着物・帯等、三味線、腕時計、カメラ等、たくさんのお品物をお買取させていただきました。
千葉県富津市のお客様から、お着物・帯等、三味線、腕時計、カメラ等、たくさんのお品物をお買取させていただきました。お引越しに伴うお荷物整理です。 現在お使いにならなくなったお着物、和楽器、ヴィンテイージ腕時計・カメラのお買取はお任せください。まずはお気軽にお問い合わせください。 株式会社古美道 0120-345-909(ご相談・出張無料) #古美道お買取日記


ノリタケの話
ノリタケ、こと 株式会社ノリタケカンパニーリミテドの「ノリタケ」は 創業地である愛知県愛知郡鷹場村大字則武 (現・名古屋市中村区則武)に由来しています。 人名からじゃないんですね。。。 1904年(明治37年)に森村市左衛門によって 日本陶器合名会社として創業されました。 世界に誇る日本の100年企業です。 以来、日本陶器は日本で初めて高級洋食器を生産し、 明治時代から戦前にかけて
陶器商社の森村組の手で欧米に大量に輸出され
国内の業者が模造して輸出した偽物が出回るほどの人気ぶりだったそうです。
戦後は日本に駐留したアメリカ軍の将兵が
帰国する時のお土産として1953年(昭和28年)まで販売された
ノリタケ製品を「プレミアノリタケ」といい
一部に愛好されているとのことです。 戦後は第二次世界大戦で多数の陶磁器と熟練職人、
生産設備を失い、戦前のような高品質の製品を
生産できなくなったため衰退しますが 見事に復活し、現代に至ります。 その後日本のセラミック業界をリードし 有名な便器のTOTOなどもグループ会社ですし


南部鉄器の話
近年の日本の伝統工芸 とりわけ海外ヨーロッパにおける 「クール・ジャパン」(単語としては、もう古い感ですね...) の中でも特に目立ったと個人的に思っていたのが この南部鉄器、南部鉄瓶です。 「Nambu Ironware」で検索すれば 海外のサイトでいかに人気があるかがわかります。 南部鉄器と総称されてはいますが、 奥州市の南部鉄器と、盛岡市の南部鉄器の歴史は異なるとのことです。 奥州市の南部鉄器はなんと時代は平安後期の起こり。 盛岡の鋳物は、慶長年間(1596年-1615年)に 盛岡藩主南部氏が盛岡城を築城した頃とされています。 幕藩体制の庇護の元、発展してきましたが 明治維維新以降に後ろ盾を失くし 昭和期の敗戦、生活様式の変化など二度にわたる大きな衰退期を乗り越え 海外人気を得た現在に至っています。
海外では「芸術性の高さ」が人気のポイントの様です。 国内外でも海外他国や他の地域からの評価で そばにありすぎて観えなくなってしまっている 失われそうな身近な品物やサービスが 見直されていけば嬉しいですね。


輪島塗の話
輪島塗とは 石川県輪島市で生産される 漆器のことです。 輪島での漆器生産の歴史は なんと! 6800年前! 能登半島の三引遺跡(七尾市)から 漆製品が発見されているそうです。
輪島では平安時代の遺構である屋谷B遺跡で
漆製品が発掘されているとのことです。
日本人の生活に「漆(うるし)」は本当に歴史深く 関わっているんですね、驚きました。 輪島では土地の歴史として 太古の昔から現代まで 漆器の製法や技法が 今日まで続いているなんて本当に凄いと思います。 輪島塗は日本伝統工芸品の代表格として 様々な生産条件や規定、使用素材や伝統的な技法によって ブランドが守られています。


九谷焼の話
九谷焼(くたにやき)
石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で
生産される色絵の磁器のことです。 歴史として 「古九谷」 「再興期 再興九谷」 「新九谷」 に分けられます。 先ずは古九谷から 大聖寺藩領の九谷村(現在の石川県加賀市)で 質の良い陶石が発見されたのを機に、 藩士の後藤才次郎を有田へ技能の習得に赴かせ、 帰藩後の明暦初期(1655年頃)、藩の殖産政策として 始められました。 約50年後(18世紀初頭頃)突然廃窯となります。 理由はわかっていません。 何があったんでしょうね。。。 窯跡は加賀市山中温泉九谷町にあります。 古九谷の時代の陶器は陶器片の調査から
備前有田と非常に深い関係があることもわかっています。 現在も非常に科学的に研究が進められているようです。 再興期には春日山窯(文化4年-1807年)をはじめとする 複数の窯元が興り 中興の祖、九谷庄三(くたにしょうざ)が 海外の顔料を取り入れて活躍します。 明治時代に入ると 九谷焼は主要な輸出品として数々海を渡ります。 1873年のウィーン万国博覧会などの博覧会に出品