掛け軸の歴史
今日は掛け軸の歴史のお話です。
掛け軸とは元々は仏教を広めるための道具として
日本に入ってきました。
中国の北宋時代に掛物として掛軸が用いられていました。
「掛けて拝する」事に用いられており
礼拝用の意味合いが強くあったということです。
元来、礼拝のための「道具」だった歴史があります。
室町時代以降、「茶の湯」の世界で座敷の「床の間」にも 水墨画の掛軸が多く見られるようになったそうです。 礼拝的な意味合いと同様に茶の湯の世界で
芸術性を高めるための表装様式として掛け軸が拡まっていきます。
千利休が掛軸の重要性を言葉にするようになると
茶を愛する人達「茶人」により掛軸が爆発的に流行するようになったそうです。 この茶の湯の世界で茶の湯の席を表現する総合芸術として昇華融合することで
日本独自の文化芸術の道を高めていくことになっていったそうです。
現代では日本の建築様式「床の間」の主役として
お客様をもてなす大事な室内芸術品としての意味合いが大きくなり
家主の思想や先祖を表現したり伝統を表現する
「お道具」として現代の日本文化の一部となっていたことは
周知の通りです。
西洋文化のタペストリーも
宗教的な絵柄や神話的な絵柄が好まれるテーマであったことも
興味深い関連性があります。
掛け軸もタペストリーも家主の思想や宗教観を
客人に示すための「道具」であることから
東洋文化と西洋文化のつながりを感じさせます。
ここが現代的な「ポスター」が家主個人の観賞用である点と
見せる相手、対象が違っている点が興味深いところです。