伊万里焼の話
伊万里焼(いまりやき)は 有田(佐賀県有田町)を中心とする 肥前国(現代の佐賀県および長崎県)で生産された磁器の総称のことです。
製品の主な積み出し港が伊万里であったことから
「伊万里焼」と呼ばれました。
日本で初めて国産磁器の製造が開始されたのは17世紀
有田(佐賀県有田町)においてであったと言われています。 佐賀藩(豊臣政権時は鍋島藩)の藩祖鍋島直茂が 豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加したことをきっかけに、
朝鮮から多くの陶工が拉致・亡命などにより佐賀へ渡ってきました。 ここ有田で渡来人陶工を中心とした本格的な有田焼産業が発展しました。 磁器の製造は日本は後発でしたが、輸出拡大の好機が訪れます。 中国では1644年に明王朝が滅亡しました。 新しく中国た大陸の覇権を把握した清により遷界令が発せられて 商船の航行が禁止され、これにより中国陶磁の輸出が一時途絶えました。 このため、オランダ商館長ツァハリアス・ヴァグナーは中国製の磁器に代わり 日本の伊万里焼にそのポストを担うよう求めます。 こうして伊万里焼の海外への輸出が始まりました。 この時、中国製陶磁器を見本として ヨーロッパ人の好みに合う製品を制作するように依頼し この経験の蓄積により、デザインなどが向上しました。 中国製磁器の輸出が再開されてからも、 ヨーロッパ方面への伊万里焼の輸出は継続されました。 今でも古伊万里「Old Imari」はヨーロッパの王侯貴族達に愛され、 今でも世界中に熱烈なコレクターが存在します。 そうそう、ロックバンドQueenの映画が話題ですね。 ボーカルのフレディー・マーキュリーさんは 伊万里焼の熱心なコレクターだったそうです。